東日本大震災 75

8月末に担当ボランティアより、引継ぎのレポートが提出されました。
ほぼ、原文のまま紹介します。


雄勝調査レポート

味噌作
1チーム二世帯2名
味噌作チーム周辺はほぼ全壊でのこっているのはこの2つの世帯。
津波の被害が酷く、買い物も不便。
また、子育て支援センター(全壊している)裏手の味噌作地域は、津波の被害はあったものの支援は必要ないとの住民の声。


明神
1チーム6世帯15名
海沿いの住宅は全壊。
支援チームは高台にある住宅が中心。
リーダーの住宅の前に道をあがっていくと、名振につながっている。


大浜
1チーム2世帯4名
大浜チームの住宅は高台のため津波の被害はなかったものの、地震の影響があり。
大浜の海沿いの住宅はほぼ全壊。
震災当初は、海沿いに住んでいた人たちは高台の住宅で生活をしていたとのこと。


立浜
1チーム2世帯5名
津波のあり。
リーダーの住宅にも津波の被害はあったが、リフォームをして住む様子だった。
立浜は2世帯以外は、全壊。


桑名浜
10世帯23名


羽坂
海沿いの住宅に津波の被害あり。
区長と会長は自立を望んでいる。
一人暮らしの高齢者も住んでいる。
高齢者や本当に困っている人のみ集めたチームを作るとおっしゃっていた女性からの名簿まち。


熊沢
1チーム約7〜8世帯25名
約40世帯ほどあったうちの沿岸部の8世帯が全壊。
海に携わる仕事をしている方も多く、仕事を失った方もいた。
リーダーは、鮮魚の移動販売をしている。
リーダーの仕事が忙しいため現在名簿待ち。


大須雄勝
6チーム
大須会長がリーダー。
1組から6組に分かれていて、全てをまとめいているのが会長。
ほぼすべての世帯が名簿に入っている。
津波に被害は少ない。
残っている住宅で津波の被害があるところは少ない。
物資は憩いの家(消防団の向い)でおろし、町内放送で呼び、取りに来てもらうというシステム。



1チーム候補あり。
津波の被害はあったものの、海沿いに立っていたのは納屋(漁業の機材などをしまっていた)だったため流された住宅は少なかった。
しかし、海に近い住宅には床上まで浸水した。
漁業の機材が流されたため仕事を失った人も多く、日給1万2000円の仕事をして生活をしている人も多い。(1ヶ月に10日くらいしか仕事をさせてもらえない)
現在リスト待ち。


船越
1チーム5世帯17名
集落はほぼ全壊。
また山と山に間に集落があるため地震による土砂崩れの被害の多く受けた。
リーダーの中里さんは、自ら船越にまた再度戻ってきてもらおうと活動していて、メディアへの呼びかけやチームSAKEというボランティア団体とも連携して活動していた。
全壊した船越小学校には泊り込みで瓦礫撤去にボランティアが生活していてた。


名振
1チーム候補あり。
海に近い家は全て全壊。
のこっているには11件のみ。
コミュニティーセンターに仮設住宅がたっている。
リーダー候補の武山さんは、元は漁師だったが震災後は仕事が出来ない状態に。
現在は日給1万2千円の仕事をしている。(間も無く無くなる)
現在船越から名振へ続く道が土砂崩れのため通行止めとなっていて、名振へ行くには明神から入っていく道のみとなっている。
現在リスト待ち。


小浜
名振から続いている30世帯ほどの集落であったが集落の住宅全てが全壊。
現在住んでいる人はいない。


水浜
津波の被害があり、現在自宅で生活している世帯は約15世帯。
集落内の高台に仮設住宅があり。
仮設との関係をとても気にしていた。
リーダーの自宅は津波の被害はなかったものの地震の影響が酷く、玄関の入り口の段差などに亀裂が入っている状態だった。調査結果は一部損壊だったという話だった。


分浜
水浜とつながっている集落。
津波の被害がひどく、集落全世帯が全壊。
現在住んでいる家はなし。


波板
1チーム4世帯8名
海に近い住宅は全壊。
高台に建っていた4件の住宅のみが残っている。
4世帯8名の全ての人が70歳以上の高齢者。
買い物や病院へ行くことも非常に大変ということ。
今まで物資の支援などはほとんどなかった。


竹浦
1チーム一世帯2名
リーダーはもともとは避難所で暮らしていたが、世帯数が減り、閉鎖することになったので、工事途中の自宅に戻ってきた。
周りの住宅の瓦礫などは、ほぼ手付かずの状態でひっくり返った状態の家が転がっているような風景だった。
買い物にはとても不便な場所で、大体渡波のイオンあたりまで出ないと欲しいものは手に入らない。
渡したエンゼルボックスを非常に喜んでくれていた。

2011/9/18 23:05