2011-08-01から1ヶ月間の記事一覧

東日本大震災72

女川町に冠水のひどいエリアがあって、大潮の時には一日2回も家に浸水しそうになる状況で、何とか行政に対応してほしいという住民に、行政職員が言った一言は、 「敵は、太平洋なので対応できません。」 雄勝町で津波が目前まで来た住宅、津波の被害こそ無…

東日本大震災71

他人の批判をして、何か得ることがあるのだろうか・・・? いや、駄目だ。今日は、無益と知っても言わせてもらう。 「被災者だから、何だって買うんだよ。」 東松島市のおまつりで、他の団体の手伝いをしたときに、信じられない言葉を耳にした。 神奈川県の…

東日本大震災70

石巻市市街地の捜索に一区切りをつけ、旧北上町、旧雄勝町、旧河北町、旧牡鹿町を歩き始めた。もちろん、自宅避難者を探すためだ。チーム王冠もそれなりの経験を積み、他団体や総合支所(旧役場)との交流の中から事前情報など得ていたので、多少楽観的な思…

東日本大震災69

9月までに米20トンを蓄えようとしたが、72年ぶりに開かれた米の先物取引市場のせいで、雲行きが怪しくなってきた。 うなるほどあった宮城県の物資倉庫から米が消え、各自治体の倉庫からも米が消えた。問屋筋の話から政府は平成16年度産からの備蓄米を…

東日本大震災68

先日お伺いしたグループリーダー(支援を受けるために構成したグループの代表)のお宅では、リフォームのために大工さんが入っていました。 被災した家一軒のリフォームにかかる費用を聞いてみたら、900万円と言っていた。震災の津波では、車も流されました…

東日本大震災67

山元町の仮設住宅が雨漏りだらけで苦情が殺到しています。 この人たちが住む仮設住宅が必要です。 落語のネタのような話ですが、現実です。さらに避難所、仮設住宅の人たちが飲み水に困窮し、行政に訴えて支給された水が、一人当たり350ミリのペットボト…

東日本大震災66

石巻市の学校給食に希望の光が見えました。 13000人の子供達の給食を支える給食センターの半分の機能が失われ、完全回復には2年を要すると言われていた6月。 外野には言われたい放題言われていたが、一番悔しい思いをしていたのは担当する市の職員達…

東日本大震災65

8月2日。 東京都赤坂、パイプドビッツ社内にて「被災地生活状況調査レポート」に関する記者会見を行いました。 その詳細は、「政治山」を検索して見て下さい。 河北新報、サンケイ新聞などでは、翌日記事にして掲載してくれたようですが、記者発表に使った…