東日本大震災73

石巻ピースボートがやってくるらしい。」
「これで、石巻は終わった。」
「物資が流れなくなるぞ!」
これは、チーム王冠が石巻に入った直後に聞いた噂だった。

ピースボートって何?
ボランティアの世界を知らない自分たちにとっては、なんの事やらさっぱりわからなかった。
出来ることなら関わらないでおこう、くらいの気持ちだった。
どうやら、過去に良くない噂が流れたことが原因で、こんな風に言われていたというのは後で知った。

あることがきっかけで、共に活動する機会が出来たが、はっきり言って素晴らしい団体だと思います。
もともとは違った目的を持った団体で、災害救助関連の活動は必要に応じて規模を変えているみたいです。
個性的なメンバーが多いので多少誤解もあるのでしょうが、リーダーたちの姿勢や、奉仕活動に取り組むメンバー達の姿勢は賞賛に値します。
石巻の中心部はピースボートが綺麗にしたといっても過言ではない。
そして、連日の炊き出しでつながった命は、数え切れないと思います。

そんな彼らも資金難で、国内での資金集めに見切りをつけて海外からの資金援助で活動を継続しているようですが、それも十分ではないようです。
山積みのニーズの前に、縮小につぐ縮小。これは、彼らの意図するところでは無いはずですが、活動する彼らにも生活はあり、それを補うだけの資金がなければ続けたくても続けられないというのは当然のこと。
数多くの財団や基金が存在しているはずなのに、何故、最前線で活躍する団体に資金が回って来ないのか?
要望書を提出しても、提出しても、却下、却下の連続。

内閣には、大そうな名前の部署もあり、大掛かりな報告書まで作成しているようですが、被災者に米の一粒も届かなければ無用の長物で、そこで無駄に使われる税金の一部でも前線の団体に回した方が被災者は救われます。
空論、空論の予算配分だけでも腹が立つのに、「もう被災者は困っていません。」というNPO団体にはじゃぶじゃぶ金をつぎ込んでいる。
「まだ、被災者支援なんてやってるの?ヤツラは困ってねえよ。」という説教を聴きながら、頭を下げて、もてあました金で買い揃えた物資や資産を使わせてもらっているのが現状。
自立、復興、自立、復興という念仏を嫌と言うほど聞かされますが、復旧作業も終わっていない。
復興プランだって、まともなモノは何一つ無い。
結局、市民、国民の小さな善意が、本当に被災地を救っている現実。でも、それも時間と共に風化しつつあるのが現実。
なんとか、小さな善意を絶やさずに、被災者支援を続けることを考えないといけない。
今、確実に頼ることが出来るのは、ひとりひとりの小さな善意しかないのだから・・・・。

2011/9/12 21:15

東日本大震災72

女川町に冠水のひどいエリアがあって、大潮の時には一日2回も家に浸水しそうになる状況で、何とか行政に対応してほしいという住民に、行政職員が言った一言は、
「敵は、太平洋なので対応できません。」
雄勝町津波が目前まで来た住宅、津波の被害こそ無いが地震で崩れた門柱や自宅の損壊場所を行政職員に説明すると、
「えっ、何?結局、お金が欲しいの?」
牡鹿町で、地震の影響でピサの斜塔みたいに斜めになった家に「この程度じゃあ」と言って出された判定は一部損壊。なんの援助も受けられません。
いろいろまわっていると、本当にひどい話に遭遇する。
一番言葉につまるのは、「いっそ津波に呑まれてしまいたかった。」
その悲痛な思いに、向き合えるほど強くはない。
こんな言葉を聴いたのは一度や二度ではないので、気持ちの整理には数日を要してしまう。
被災地に支援は、まだまだ必要。
これに疑う余地はないのだが、支援の方法は本当に考えなければいけない。
様々な団体が、よかれと思ってしていくゲリラ配布は、被災者に暗い影を落としていく。
「あの家ばかり、いつも支援物資が届く。」
通りから見つけやすい家に物資が集中するのはしょうがないが、みんなに分けるほどなければ行き届かない人がでてしまう。
そうかと思えば、独裁者気取りの人が被災者の中にあらわれ、支援物資をちらつかせいばりちらす。
家が残った人に支援が行くのはおかしい。
何も残らないほうが支援がたくさんもらえたのに。
本当に何も無い困窮した地域ほど、こういったマイナスの感情が生まれるんだということが痛々しいほどわかる。
あふれるほど支援が届けば、こんな感情が生まれることも無いのに、
あふれるほど支援を受け取っても、この人たちの生活が元通りになることは無いのに、
あふれるほど支援があっても、失ったものが返ってくるわけでは無いのだから、
それが出来ない自分たち、それを伝えきれない自分たちが、とても悔しい。
元気な人たちもたくさんいます。
笑顔で、過ごす人たちもたくさんいます。
そんな状況ばかりメディアは取り上げるけど、そうでない人のほうが圧倒的に多いことをわかってほしい。
笑顔の人だって、困っていることをわかってほしい。
ゴミの量が23年分なら、被災者が失ったものも23年分だとわかってほしい。

東日本大震災71

他人の批判をして、何か得ることがあるのだろうか・・・?
いや、駄目だ。今日は、無益と知っても言わせてもらう。
「被災者だから、何だって買うんだよ。」
東松島市のおまつりで、他の団体の手伝いをしたときに、信じられない言葉を耳にした。
神奈川県の団体の代表が言った言葉だ。
商品は煙草のこげ跡がついた、4スミがベロベロの状態になったテーブルだ。
「2000円だな。これ以下じゃ売れない。先週も売れたからな。被災者だから何だって買うんだよ。」
活動の内容は、考え方の違いもあるからとやかく言わない。
被災者相手に商売して、倉庫代を稼ぐことは自分たちには出来ないことだ。
石巻、湊地区で中古家電を売り歩く団体。
支援の形は様々あるのだろうが、支援者から無償で託されたものを販売して自分たちの活動資金にするのはどうなんだろ?
石巻を中心に喪服を格安で販売する団体。
地元の人間を販売スタッフとして雇用するというので、被災して職を失った人に仕事として紹介したが、やはり被災者相手に商売をして、その収益を活動資金にするという方法は賛同できない。石巻渡波地区で避難生活をしている集落に支援物資を届けた富山県の某団体。
自転車を支援してくれると喜んだ被災者に渡されたのは、パンクしてサビだらけの壊れた自転車。
そしてぼろ雑巾のような古着。
落胆した被災者から思わず出た言葉は「私たちは乞食じゃない。」
しかし、もう一台の車には新品の洋服やお米などの食料品。
積み込み変えの手伝いをさせられ、少し期待した気持ちになった被災者に待っていた言葉は、「これは、南三陸町にもっていく物資だから、あんた達のはないよ。」
各団体に共通して言えるのは、被災者を馬鹿にしている。
支援活動をしている自己満足に酔いしれているのではないか?
自分たちのことを考えよう。
忙しさを理由に、被災者に対する心配りを忘れてはいないか?きちんと、被災者の気持ちを感じ取れているか?
今日、支援物資を受け取って、号泣したおばあちゃんの涙に恥じない活動が出来ているのか?
まだまだ、わからないけど、自分には正直であるように努めることにしよう。

東日本大震災70

石巻市市街地の捜索に一区切りをつけ、旧北上町、旧雄勝町、旧河北町、旧牡鹿町を歩き始めた。もちろん、自宅避難者を探すためだ。チーム王冠もそれなりの経験を積み、他団体や総合支所(旧役場)との交流の中から事前情報など得ていたので、多少楽観的な思いでの捜索活動だったことを間も無く反省することとなった。

絶句。

これ以外の表現があるのだろうか?ほぼ、まったくと言っていいほど何の支援も受けていない状況。その集落の連続。確かに被災地は広い。それでも、数多くの支援団体が、数多くのボランティア達が何らかの物資的な支援活動をしているものだと思っていた。自分たちの調査がパーフェクトだとは言わないが、多くの自宅避難者とコミュニケーションを取り、ヒアリングをしているので、そうそう聞き漏らしはないと自負できる。
他のボランティア団体の名誉にも関わるので、名前が出てきた団体をあげると、北上では関東からのボランティアバス団体、河北ではRQ、雄勝船越でチーム鮭、牡鹿でハミングバード。チーム王冠は、あくまで自宅避難者が対象なのでこういう結果になったのかもしれないが、地元団体やブイブイ言っている人たちはいったいどこで活動していたのか?やっぱり、避難所ということになるのだろうか・・・。

話を戻す。
旧町群を地方部と呼ぶなら、この地方部の問題は被災地が抱えている問題に、さらに過疎という問題が浮かび上がってくる。
市街地でもコミュニティの崩壊による情報の隔絶という問題はあったが、こちらはもっと深刻だ。コミュニティの再形成が難しく、さらに再形成できた場合でも、生活圏に必要な病院、商店などが無い。そして移動手段そのものが無い人たちが圧倒的に多い。
さらに取り残された地域では、避難所だと第2段階で必要な物資を何一つ持っていない人たちが本当に多数いることに驚かされた。
そう、ボールペン、メモ帳、カレンダー、靴、衣類などの物資に飛びついてくるほど困窮しているのだ。こういった集落があるのに、支援の打ち切りを検討する行政や政府に怒りを通り越して、情けない気持ちにさせられる。

北上に校医さんがいることは知っています。雄勝に診療所が出来たことは知っています。牡鹿寄磯に診療所が出来たことは知っています。北上に移動販売車が来ることは知っています。石巻行政が自宅避難者に目を向けていることは知っています。
まだまだ、もっともっと支援の手を緩めることなく進めなければ、人が死に、町が死に、日本という国が死んでしまいます。

この言葉を誰に届ければ事態が好転するのだろうか・・・・?
本当に、教えてほしい。

東日本大震災69

9月までに米20トンを蓄えようとしたが、72年ぶりに開かれた米の先物取引市場のせいで、雲行きが怪しくなってきた。
うなるほどあった宮城県の物資倉庫から米が消え、各自治体の倉庫からも米が消えた。問屋筋の話から政府は平成16年度産からの備蓄米を持っているという情報は入ってきたが、混乱が起きる前に備蓄米を吐き出してほしい。
不安要素はまだある。福島原発が引き起こす放射能問題だ。
たとえ収穫出来ても、放射能検査にパスしなければすべて廃棄処分となる。
福島県宮城県産の米は駄目じゃないかとささやかれているが、今はそうならないことを祈るばかりだ。
新潟県山形県も予断を許さない状況で、たとえ出荷にこぎつけても市場に受け入れられるかどうかの問題も抱えている。せっかく炊飯器の普及率を上げてきたのに、イライラが止まらない。
しかし、リンナイさんのおかげで、ガステーブルの普及率もぐんぐん上がってきている。
目先を変えて、小麦製品の麺類を集めようか思案している。
ついに終戦記念日を迎えてしまったが、被災地の戦いは、まだまだ終わらない。

東日本大震災68

先日お伺いしたグループリーダー(支援を受けるために構成したグループの代表)のお宅では、リフォームのために大工さんが入っていました。
被災した家一軒のリフォームにかかる費用を聞いてみたら、900万円と言っていた。

震災の津波では、車も流されました。
チーム王冠の場合でも、活動車を3台つぶしました。
車が無いと仕事にも買い物にも行けない地域。
安い中古車でもないと、やっぱり生活するには厳しい環境だ。
このお宅でも、被災地の悪路にやられてせっかく買った中古車を一台駄目にしてしまったらしい。
悪い空気で肺炎をおこす人多数、医療費も馬鹿にならない。
そもそも地域の開業医も被災して、車が無いと最寄の病院にもたどり着けない。
さらに、家具、電化製品、布団、衣類などなどあわせるといったいいくらあったら足りるのだろうか?
だが、宮城教育大学の教授の試算によると、被災者が手にすることの出来る支援金、義援金の類を合算すれば、最大で約880万円ぐらいになるだろうとのこと。
但し、この計算は新築建替えの場合で、リフォームだと最大で500万円前後になると思う。


「うちは、まだいいほう。大工さんがつかまらず、年内の施工が無理なお宅がいっぱいあるよ。床もはがせず、かび臭いお宅もいっぱいあるよ。水道水なんか怖くて飲めないから、支援は本当に助かる。」被災者の生の声です。

こんな状況を憂慮して、何か出来ることをしたいと考える被災地以外のドクターや看護師が大勢いると聞きます。しかし、地元の開業医に受け入れしてもらえないと医師として活動できない現実があります。しかも、医師会を通すと、医師、看護師合わせて8人1チーム、1週間以上の活動が条件となり、それを出来る人たちは本当に一握りの人たちだけです。
しかし、そんな状況を打開できる受け入れ先が見つかりました。単身でも、短期間でも、医師として看護師としてボランティア活動が出来ます。
自宅避難者の情報はあります。
仮設居住者の情報もあります。
被災者のことを第一に考える医療関係者を募集します。
PTSD、うつ病に苦しむ人たち、高齢者、要介護者など被災地に取り残されている人が多数います。
まだまだ、有志の支援が必要です。
よろしくお願い致します。

東日本大震災67

山元町の仮設住宅が雨漏りだらけで苦情が殺到しています。
この人たちが住む仮設住宅が必要です。
落語のネタのような話ですが、現実です。

さらに避難所、仮設住宅の人たちが飲み水に困窮し、行政に訴えて支給された水が、一人当たり350ミリのペットボトル1本。
夏をこの1本で乗り切れと言う事です。
落語のネタではありません。現実です。

被災地のボランティアセンターが次々に閉鎖されます。
まるで談合のように横一線に各市町村足並みをそろえての閉鎖です。
まだ、被災地にある山のようなニーズは、金を払って解決しろということですか?
津波に開けられた1階の壁は、ビニールシートのままで、泥だしした床は消石灰で白く、泥水を吸った壁はかび臭く、家電は全滅、たたみも全滅、ハエの波状攻撃に耐え、拭いても拭いても白くにごる床を磨き、働く場所も無いのに仕事をして自立しろと?

宮城県で震災関連の自殺者が19名いるそうです。
震災後のこういった調査で、人数の公表があったのは始めてです。

昨夜、亘理町鳥屋崎地区で、慰霊祭・復興際が行われました。
Jade&大谷さんの歌と演奏、絆ジャパン協力の屋台の数々、そして花火。
この地区で亡くなった方9名を想い、100世帯あった家族が10世帯になり、そんな中、散り散りになった住民たちが、ふるさとに帰ってきて欲しいと願う地域リーダーの言葉には胸が熱くなった。
集まった議員たちの瓦礫撤去自慢、「俺たちはやった」話はブーイングが飛び交う。
もっとちゃんと、生きている住民を見て考えてほしかった。今からでもそうしてほしい。

花火、きれいだったなぁ。