東日本大震災66

石巻市の学校給食に希望の光が見えました。
13000人の子供達の給食を支える給食センターの半分の機能が失われ、完全回復には2年を要すると言われていた6月。
外野には言われたい放題言われていたが、一番悔しい思いをしていたのは担当する市の職員達だ。
「子供達に、おなかいっぱい食べさせてやりたい。」
シンプルな思いは、給食センターのスタッフにも伝わり、マンパワーや効率化というソフト面での工夫で現状を打開するべく、関係者の熱いミーティングの結果、10月1日を目処に、完全給食に近いメニューを提供することを決めた。

もちろん、被災前の完全給食を実現できたわけではないから100点とは言えないかもしれないが、自分は「よくできました」シールを関係者の方々に贈りたい。
限られた環境の中で、多くのしがらみの中で、歩を進めたことを評価したいと思う。

8月9月の給食も、6月7月の内容より良くなっている。
しかし、帰宅してきちんと食べられる環境に無い子供達がいることを考えると、少々寂しい内容に感じてしまう。
支援する立場として、出来ることを考え慎重に行動しようと思う。
多くの理解者と、協力者の力を借りて。

東日本大震災65

8月2日。
東京都赤坂、パイプドビッツ社内にて「被災地生活状況調査レポート」に関する記者会見を行いました。
その詳細は、「政治山」を検索して見て下さい。
河北新報サンケイ新聞などでは、翌日記事にして掲載してくれたようですが、記者発表に使ったデータがすべて「政治山」のサイトで閲覧することができます。

現地にて支援活動をしていて、この人たちは支援が必要な程困っているという肌で感じる感覚を、数字、グラフというデータに表した資料になっていると思います。

この資料は、大西氏と共に、原口一博議員、辻本清美議員に直接手渡し、状況の把握と被災地における状況改善の一助の資料として活用していただけるようにお願いをしてきました。

宮城に戻ってまもなく、石巻市が配給のための新規コミュニティの受付を終了したという情報が飛び込んできて、直接担当職員に確認したところ事実であることがわかった。
「・・・・・まだ、早い。」という言葉が思わず出てしまった。

チーム王冠として、渡波、湊、大街道の市街地地区の自宅避難者の捜索、コミュニティ作りの作業はいちおう出来たが(完璧とは言わないが)、郊外地区の北上、雄勝、牡鹿地区は、これからだからだ。

マンパワー不足が、本当に悔しい。

まず、先に手がけて新コミュニティを作った北上地区の被災者から、雄勝地区で自宅避難をしている友人の支援を依頼された。
その地区は、2度、3度情報を得ていながら、自宅避難者を発見出来なかった地区だ。何度と訪れながら「まさか、ここに自宅避難者はいないだろう」と思えるほど、壊滅的な状況の集落だった。
でも、そのまさかの地区にその人たちは住んでいた。
自宅避難者が20世帯近くも暮らしていた。

何故?

災害直後、ここの区長は避難所に入り、一切の支援を、自衛隊の支援すら断っていた。
震災から約5ヶ月。ゲリラ配布のボランティアから2度、わずかな支援物資を受け取っただけで、それ以外の支援は受けていないという。

またか・・・。

こんな場所が、いまだに人知れずあるのに、支援の縮小を決める前に、本気で探せよ!!

この言葉を、誰に向けて叫べば、状況が好転するのだろうか・・・。


行政が持つ支援物資も心もとない。
というのも、仮設住宅の建設がペースを上げて急速に進み、生活を始めるための食料支援物資を配給しているため、大量の食料物資が、補充が追いつく間もなくストックヤードから消えていっている。
避難所の9月閉鎖に合わせて、仮設住宅の建設ペースを上げているということは、まさか物資配給支援をそのタイミングで打ち切ることを考えているのでは無いか?

考える順番が間違っていないか?
自立しようにも産業が壊滅状態で、復旧の目処も、復興の気配も無い町で、支援金と義援金を食いつぶしながら暮らせと言っているのか?

女川町は6月末で支援をすでに打ち切って、生活困窮者が急増している。
心ある一部の職員は、その状況を憂慮しながら、こちらの活躍に期待を寄せている。
支援する気持ちはあるが、のしかかる現実の数字に押しつぶされそうだ。

水はある。水は目処が立った。
9月まで米20トン。最低でも20トン確保しなければ・・・・。

東日本大震災64

昨日、インフォマニアの大西氏提唱、パイプドビッツ協力のもと、チーム王冠が生活状況のアンケート回収を、スマートフォンを使い、マッピングしながら行いました。
回収出来たのが、約650件程度。

真実を見るためのツールとして位置づけましたが、住民の理解をどの程度得ることが出来たのか、結果を見ないと何とも言えないのかな。。。

それは、さて置き、家電やガステーブルのニーズ調査も並行して進めたので、リンナイさんが支援してくれたガステーブルや、関東で進めている「家電回収プロジェクト」で集めた電化製品を、一気に配布して行きたいと思います。
総数で1000点は超える見込みです。

昨日は、学校給食問題の本質を見極めるために、大西氏に同行して石巻市教育委員会におじゃましました。あれが駄目、これが駄目と外野が騒ぐのは簡単だが、法律にのっとって進めていかなければならない行政の立場も理解することは出来た。
ただ、それにしても、非常事態の中でもう少し柔軟に対応すれば、解決できる問題も多いと感じた。
レトルト1品の簡易給食だけでは、子供たちに十分な栄養を与えられない。
救いだったのは、教育委員会の担当者が、問題を把握して解決に尽力していると感じられたこと。
彼らに期待しながらも、緊急に出来ることを自分たちで探し、行動しなければならないと思った。

そんな中、チーム王冠が給食支援をしている某小学校に日本テレビの取材カメラが入った。当日の担当団体ピースボートが撮影されたと思うので来週の放送を見てみてほしい。ジャニーズの一人がキャスターを務めるニュース番組らしい。
わかる?
7月5日に担当している、レストラン・アルフィオーレにも地元局の取材が入った。

本当に多くの人に、この給食問題を知ってほしい。

この日記から、発信できたらいいのに・・・。

東日本大震災63

ツイッター始めました。
お願いですから、ツイッター上で話しかけないで下さい。

・・・・返事の仕方がわかりません。



6月30日。この日を境に被災地の様子が一変しそうです。
まず、自衛隊の完全撤退。
そして、避難所を除いた被災者に対する支援の打ち切り。

復興ムードが盛り上がり、平和な日本の日常が戻りつつあり、被災者のみなさんも自立に向けて歩き始めました。

と、言わんばかりの報道ですが、冗談じゃない。

この国は、責任を放棄して、被災地を捨てました。
国ばかりじゃない、被災地の自治体の多くが住民を突き放しました。

第二次義援金の配分が決まったそうですが、第一次義援金の配布がまだ終わっていません。石巻市は50%も配れていません。
沿岸部の工業地帯は全滅。いったいどれだけの雇用があったのか?
沿岸部の漁業関連産業は全滅。ほんの一部事業再開しましたが、町のほとんどが失業者。
津波の被害があった地域ばかりに目がいきがちですが、経済的な苦悩は水害関係なしで現在進行形です。

中途半端な地域の人は、今まで行政の支援を一度も受けず、貯金を切り崩し生活し、限界を向かえ、借金で生計を立てている人が増えています。
コメディー映画じゃない、現実の話で笑えません。

瓦礫のじゅうたんそのままで、いったい誰がきれいにするの?
本来、自衛隊の仕事ではないでしょうが、あのマンパワー以上の力が、この国にありますか?
民間委託には、必要以上のお金がかかります。
破綻した被災地行政にその予算があるとは思えない。

嗅いだことの無い悪臭が、町を流れて、弱った住民の健康を奪っています。
そんな住民の医療費免除も終了しました。

学校給食も完全給食ではなく、パンと牛乳+レトルト1品の簡易給食。
育ち盛りの子供たちの体重が減っています。
家でも、避難所でも食事がままならない状態です。
頼みのつなの給食がこのままで、子供が育ちますか?
子供は国の宝では無かったのか?

ライフラインの水道が戻っても、水質が悪くて飲めない水。
ライフラインのガスが戻っても、地震津波にやられた設備は使えません。
ライフラインの電気が戻っても、使える家電がありません。
ライフラインは無料じゃ使えません。
払えるあてもないのに使っているのが現状です。

どうして、こんな簡単なことが、わからないんだろうか?

チーム王冠が支援する自宅避難者の数は日々増えています。
水と食料が欲しくて、めんどくさいルールがあるグループに参加してきます。
その数、3400人を超えました。

13000人の子供たちに、おやつの支援をしました。

通算10000食以上の炊き出しをしました。

300人の子供たちに、毎日給食の支援をしています。

自分たちに出来ることには限界があります。

必要としている数は、この何百倍です。

そしてそれは、これからもまだまだまだ必要です。

2011/6/27 08:19

東日本大震災62

(6/12記)

個人支援の方々から、続々と水が集まっています。
日本ボーイスカウト連盟、外務省(タイ産)、NPOホープWFPから大量の水を支援していただきました。
これで、今月の水問題をクリアできそうです。
来月は、わかりませんが・・・。

不完全な給食メニューの石巻市で、一部小学校、中学校の給食メニュープラス1計画を始めました。
給食法?からは外れますが、今は非常時だからという校長先生の英断に拍手を贈りたいです。子供たちに栄養ある食事を食べさせたいという思いを受け止めて、活動したいと思います。
とりあえず、6月いっぱいは続けます。

今週から「大街道」地区で、自宅難民のグループ化を始めました。
渡波」「湊」「大街道」の地区に多くの自宅難民がいて生活に困窮している情報はありましたが、渡波地区の捜索を完了するまで先送りにしていました。
なにせ、弱小チームなもので・・・。

2011/6/23 04:49

東日本大震災61

(6/7記)

5月いっぱいで渡波支所の、弁当配給が止まると市議会議員、市役所職員から聞いていました。
実際は、近くの神社にて配給を継続しているようで安心しました。

6月4日、5日で渡波地区最後のローラー作戦を決行しました。
と、言っても2日間の延べ人数12人ですが、チーム王冠にとっては、大人数です。
前日深夜、講習会を開き、グループの作り方、何故グループを作るのかレクチャーしました。
一気に6つの新グループを作ることができ、一区切りつけることができました。
中には、明日にでも切実に食料支援をお願いしたいというエリアがあり、驚きと安堵の感情が入り乱れました。

同時に、既存のグループに対して食料支援を行いました。
水道の通ったエリアが増えたおかげで、自衛隊給水車が撤退しました。
そのせいで、急激に飲み水に困ることになった。
何故か?水質が最悪で、とても飲める状態ではないのです。
数日、水の確保に奔走しましたが、石巻市の物資倉庫には水がありません。
水、どころか、アルファー米、パックご飯も底をつきました。

東大阪市野田市長は、被災地のために備蓄してある水やアルファー米の提供を約束してくれました。
しかし、石巻市はその受け入れを拒否しました。
理由は、「困っていない」からだそうです。
自衛隊が管理する物資倉庫にまったく水がなくなっているのに、この感覚のズレはどこからくるのだろうか?
協議会の会長の尽力で、受け入れすることになりましたが、2日間の時間のズレで、提供してもらえる数量は10分の1に減りました。
東大阪市いわき市気仙沼市にも支援をして出せる備蓄がなくなったそうです。
無理をしてくれた野田市長には感謝の言葉もありません。
浪花の男の心意気、見せてもらいました。

食料集めがんばります。

2011/6/23 04:45

東日本大震災60

緊急告知!
ボランティアが足りません。

3日以上滞在できる方、ウィークエンドなど定期的に参加可能な方、熱い気持ちのある方、男女、年齢問わず(未成年不可)募集します。
宿泊場所、食事、移動手段、ご心配なく。

これまで、東日本大震災関連のボランティアに参加された方、被災地に近い方ならわかっていると思いますが、まだまだまだやることがあります。

残念なことで、しょうがないことですが、ボランティア参加の絶対数が減ってきています。
やることを見失った団体は受け入れを拒否しています。

石巻市の行政は、正常に機能しているとは思いません。
それでも、役場スタッフは何とかしようと奮闘しています。それがよくわかりました。
問題や障害は山積みですですが、これ以上被害を広げたくない、市民のために正しいことをしたいという気持ちを確認しました。
行政なくして復興はありえません。
しかし、行政はルールを重視しなければなりません。
行政が出来ないことを誰かがやって、結果的に行政をサポートすることが必要です。
お金や、物資の問題もありますが、今、決定的に不足しているのは、マンパワーです。
小さな力で結構です。
歯車もネジがないと壊れます。
それどころか、動力となる力がないと動きません。

みんなの力が必要なのは今からです。

2011/5/30 09:49